西尾幹二著「国民の歴史」再読。歴史と呼び得るかやはり怪しい。

西尾幹二著「国民の歴史」以前読み通すのに苦労した
けど、最近文春Onlineで著者の回想記事が発表された
ので、再読。

著者は、特定史観を排し、特定の時代を暗黒化して
否定することを避ける。

豊臣秀吉の晩年の海外侵略は、管見(多数派の見方)で
は愚行だけど、著者は秀吉の壮大な世界構想を褒める。

近世徳川政権の鎖国政策は、豊臣加絵政権に愚行を
反面教師にして成立した面が大きいと見るのが順当
だけど。

近世日本の鎖国は社会発展を遅らせた愚挙だとする
近代主義、進歩主義史観を否定しつつ、著者は、近世
日本には鎖国など無く、日本は近世でも独自の社会
発展を遂げたとする。

管見では、明治維新は、外来西洋勢力に屈したこと
をごまかすために、徳川前政権を過剰批判したことが
問題だと感ずるけど、著者はそこを不問にする。

そして、明治維新とFrance革命を比較し、日本を、
明治維新を遅れた、劣るものとした学者の論議を批判
し、明治維新とFrance革命の同質性を過大評価する。

明治大正期日本が英国の傀儡であり将棋の駒に過ぎず、
厳密な意味での独立国と呼べずとしながら、所謂陰謀
論は採らず。

太平洋戦争、第二次大戦は、日露戦後、USAの過剰な
対日敵視が問題とし、日本側の問題点、戦略戦術の
拙さを棚に上げる。

この本が20世紀日本の政治家で唯一褒めるのが保守
自由主義者石橋湛山。

著者は湛山の敗戦後言論を賞讃するけど、湛山の靖国
神社廃止論には触れず。

自眠党は政党とは呼び難い曖昧集団だと著者は批判。

でも因果性を軽視し、各時代を等しく褒める筆者の
筆法は、歴史とは呼び難く感ぜられる。

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