近代日本権力者はお子様の如く無責任、権力者成熟化は可能か。

近代日本は、近世末期での強制開国により西洋列強に
敗北したことへの復讐のために、明治維新長州革命を
実施、中央集権化、権力強化を進めた。

民主主義に関しては、外面だけ、歪曲した形で採用。

古来の日本型村社会では、特定の人物に権力を集中
させることを避け、集団責任、連帯責任を原則にした。

お子様は神様、自然な存在で、責任と無縁にされた。

近代日本は権力を強化しながら、権力は責任と表裏一
体、の文明原則を無視し、権力者はお子様の如く無垢
無私無責任とされた。

Responsibility責任は、対応能力、自身の行動の結果、
予想外の事態や損害が発生した時に、上手く対応して、
損害を極小化する能力、危機管理能力。

お子様は全知全能幻想を持ち、心理上は神様に近いけ
ど、実際の行動能力は乏しい。

自身の悪行で危機を作り出す恐れが乏しいので無責任。
精神科医土居健郎は「甘えの構造」で、近代日本で
絶対統治者現人神とされた天皇の背後には、お子様の
甘え思想があると曝露した。

本来おとなは全知全能幻想を維持できず、それなりの
行動力を持つので、無責任なのは誤りだけど、近代日
本は、天皇制無責任体制のみならず、官僚体制化に
よる、官僚型無責任にも毒された。

社会主義体制では、運営社の官僚は、完璧な近代科学
知識を持つ故に無謬、誤ることは無く、無責任だとさ
れた。

近代日本の官僚は、自身では理性を働かせて理論や
制度を構築する能力を持たず、先進国からの輸入に頼り、
輸入品に若干和風味付けをするだけだけど、難関試験
を突破した故に社会で重く見られた。

戦後日本の右翼、似非保守政治屋どもは、日本無責任
体制を改革するよりも、逆切れ。

官僚と癒着して利権を貪りつつ、一般国民大衆は権利
と表裏一体の義務を軽視し、権利ばかり主張しやがる、
と歪曲した義務思想、封建主義思想を喚き、近代人権、
天賦人権思想を無視。

これに対抗した左翼勢力は、本来徹底官僚主義なのに、
民主主義を偽装、日本右派権力は西洋理論に照らして
後進性にまみれる、と批判したけど、批判する側も
また矛盾だらけで、殆ど問題解決に近づかず。

佐高信さん流、権力者、有名人への個人攻撃は、日本
権力者に責任を自覚させる効果を殆どもたらさず。

国際環境が激変しつつある現在、日本は国際競争から
撤退することが必要なのでは。

21世紀に入り、日本はAsia最先進国化座から転落、
どんどん状況不利になりつつある。

もういい加減に負けを認めて、競争や勝負を諦め、
明治以来の集権体制から転換、分権化に進むのが良い。

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